①の続きです。
©KADOKAWA Pictures. 文中敬称略
「セーラー服と機関銃」(1981)
1981年12月に公開された「セーラー服と機関銃」(原作 赤川次郎、監督 相米信二)は、制作費1.5億円ながら配収は23億円、興行収入47億円。
1982年邦画ナンバーワンヒット、薬師丸ひろ子の唄う主題歌も86.5万枚を売上ます。ただし本作の制作はキティ・フィルムで、角川事務所は宣伝を担いました。また、配給は当初は東宝の予定でしたが、東映の正月映画となりました。
翌1982年、角川春樹事務所はコンテストで渡辺典子、原田知世を発掘。既に専属女優だった薬師丸ひろ子を含め角川3人娘と呼ばれました。
ここから角川映画は「文庫本を売るための大作主義」から「専属女優主演映画路線」に移行していきました。
「蒲田行進曲」「汚れた英雄」「伊賀忍法帖」(1982)
1982年、松坂慶子、風間杜夫、平田満 出演の「蒲田行進曲」(原作 つかこうへい、監督 深作欣二)が配給収入17.6億円の大ヒットを記録。
キネマ旬報ベストテンで批評家、読者ともに1位を獲得。日本アカデミー賞をはじめとする映画賞も総ナメにするなど、これまでの「話題先行で質が伴わない」という角川映画の悪評を払拭する作品となりました。
また、草刈正雄主演、YAMAHA全面協力のSUGOでのレースシーンが話題を呼んだ「汚れた英雄」(原作 大藪春彦、監督 角川春樹)は角川春樹氏が自らメガホンを握り、配収16億円、年間邦画3位のヒット作となりました。
同時上映は真田広之主演、渡辺典子のデビュー作である「伊賀忍法帖」(原作 山田風太郎、監督 斎藤光正)です。
この年、角川春樹氏は優秀なプロデューサーに贈られる藤本賞を受賞。プロモーション時には俳優や監督以上に積極的にメディアに露出し、角川映画=角川春樹氏そのもの、というイメージでした。
「探偵物語」「時をかける少女」(1983)
1983年、薬師丸ひろ子、松田優作主演「探偵物語」(原作 赤川次郎、監督 根岸吉太郎)
原田知世主演「時をかける少女」(原作 筒井康隆、監督 大林宣彦)
の2本立てが、配給収入28億円、興行収入51億円と、この年の邦画第2位の大ヒット。
薬師丸ひろ子、原田知世の人気はすさまじく、テレビではなく銀幕をメインにして主題歌も唄う「映画女優」は、かつての映画全盛期以来のスタイルで、若い世代を劇場に呼び戻しました。
「幻魔大戦」「里見八犬伝」(1983)
また、この1983年にマッドハウスと組んでアニメ映画にも進出。角川アニメ第1弾「幻魔大戦」(原作 平井和正、石森章太郎 監督 りん・たろう)は、配給収入10.6億円を記録します。
そして同年末の薬師丸ひろ子、真田広之主演の「里見八犬伝」(原作 鎌田敏夫、監督 深作欣二)が、1984年配給収入で邦画1位の23.2億円を記録。
当時としては異例の、公開同時発売されたビデオソフトも5万本、7億円の大ヒットとなりました。
「少年ケニヤ」「晴れ、ときどき殺人」「湯殿山録呪い村」(1984)
1984年、角川アニメ第2弾「少年ケニヤ」(原作 山川惣治、大林宣彦、今沢哲男 共同監督、主題歌は渡辺典子、ケートの声優は原田知世)が公開。
渡辺典子主演デビュー作「晴れ、ときどき殺人」(原作 赤川二郎、監督 井筒和幸)は、
「湯殿山麓呪い村」(原作 山村正夫、監督 池田敏春)との2本立てでした。
「メイン・テーマ」「愛情物語」「Wの悲劇」「天国にいちばん近い島」(1984)
薬師丸ひろ子と原田知世コンビの「メイン・テーマ」(原作 片岡義男、監督 森田芳光)、
「愛情物語」(原作 赤川次郎、監督 角川春樹)の2本立ては、配収18.5億万円、1984年邦画で「里見八犬伝」に次ぐ2位となります。
さらに、この年は「Wの悲劇」(原作 夏樹静子、監督 澤井信一郎)
「天国にいちばん近い島」(原作 森村圭、監督 大林宣彦)
の2本立ても公開され、配収15.5億円でこの年の邦画第4位、2人の唄う主題歌も、それぞれオリコン1位のヒットとなりました。
「早春物語」「二代目はクリスチャン」(1985)
1985年には、原田知世主演の「早春物語」(原作 赤川次郎、監督 澤井信一郎)、
志保美悦子主演の「二代目はクリスチャン」(原作 つかこうへい、監督 井筒和幸)が公開。配収12.5億円、この年の邦画6位とヒットしました。
しかし…。
結果的にこの時期を最後に、角川映画は衰退の一途を辿っていきます。
1985年、角川春樹氏が自社配給に乗り出した事で、東映の岡田社長、東宝などとさまざまな確執が生まれ、結果的に自社配給もうまくいきませんでした。
さらに、フジテレビが映画界に本格参入して「南極物語」など角川映画のお株を奪う大量スポット、局を挙げてのメディアミックス戦略で大ヒットを連発します。
そして1985年に薬師丸ひろ子が、翌1986年には角川春樹事務所自体が芸能部門から撤退。所属する原田知世と原田貴和子、渡辺典子も独立。
「天と地と」(1990)
急速に求心力を失った角川春樹氏は、1990年に制作費50億円を投じて久々の大作となる「天と地と」(原作 海音寺潮五郎、監督 角川春樹)
を手がけ、興行収入92億円の大ヒット…にはなりましたが・・・
主演を予定していた渡辺謙が白血病により降板するなどの不運にも見舞われ、400万枚もの前売り券がスポンサー企業にバラまかれた結果、前売り券は金券ショップで叩き売られて劇場は閑散としていた、といわれます。
「ルビーカイロ」(1992)・「REX恐竜物語」(1993)
そして1992年、ハリウッド進出第1弾と称した「ルビー・カイロ」が30億円の製作費に対してわずか5億円前後の回収にとどまり、興行的に大失敗。
これらが角川春樹氏と弟の角川歴彦氏の対立を招く下地となり、角川書店のお家騒動が勃発します。
そして1993年、安達祐実の映画デビュー作「REX 恐竜物語」(原作 畑正憲、監督 角川春樹)の公開中に角川春樹氏が薬物所持により逮捕。本作が角川春樹氏の角川書店在籍中、最後の映画となりました。
前述の通り、著作権を巡る法廷闘争の結果、「角川映画の著作権は角川春樹氏ではなく、角川書店にある」という司法の判断が下り、現在は「Haruki Kadokawa Presents」というタイトルクレジットは見ることができません。
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