「伝説の10.9」~1995 激突!! 新日本プロレス vs UWFインターナショナル 全面戦争

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プロレス
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今回は1995年10月9日、東京ドームで行われた「激突!!  新日本プロレス vs UWFインターナショナル  全面戦争」をご紹介します。

武藤敬司が古典的な四の字固めで”最強”高田延彦を下し、超満員のドームに「高田、前田が泣いてるぞ!」の怒声が響いたあの大会は、どのような流れで実現し、何をもたらしたのでしょう。

●犬猿の仲の両団体

両団体の最初の遺恨は、1992年10月。Uインターの宮戸優光、安生洋二、鈴木健氏が顧問のルー テーズを伴い、新日本プロレス事務所を「アポなし訪問」したことに端を発します。

これは週刊ゴングのインタビューでG1覇者でNWA王座も手中にした蝶野正洋が高田延彦の名を挙げたことに反応したもので、「両者の対戦を実現させましょう」という趣旨での”殴り込み”でした。

 

突然の訪問に不快感を示した新日サイド(長州、マサ斎藤、取締役の永島勝司氏、倍賞鉄夫氏)はUインターに「挑戦のリスク料3,000万円を支払え」「蝶野への挑戦権を賭けて巌流島で3vs3で戦え」と無理難題を突き付け、交渉は破談に。

 

その後、Uインター側が交渉内容をマスコミに暴露したことで両者の関係はさらに悪化。中でも”U嫌い”の長州は大激怒。かの有名な名セリフ、「みんな首吊って死ね!あの野郎がくたばって墓立ったら、オレはクソぶっかけてやる!」が飛び出し、両団体は”絶縁”状態になりました。

 

●1994 Uインター「一億円トーナメント」計画

その2年後の1994年。

 

Uインターは今度は「現金1億円」と他団体エースへの「内容証明付き挑戦状」を用意し、記者会見を開きました。

宛先は当時の主要5団体のエース、新日本プロレス:橋本真也 / 全日本プロレス:三沢光晴 / WAR:天龍源一郎 / RINGS:前田日明 / パンクラス:船木誠勝。

 

賞金1億円を賭けた「プロレスリング・ワールドトーナメント」を開催し、5選手に参加を要請する、という趣旨でした。

後に明かされたところによれば、これは当時のUインターの営業担当が思いついた構想を宮戸氏が膨らましたものだそうで、宮戸氏は「全員はムリでも1~2名は参加するんじゃないか」と思っていたのだとか。ちなみに現金1億円は会見のためだけに借り入れし、金利を払ってすぐ返したそうです。

 

事前の根回しなし、業界のルールを無視したこの”爆弾投下”に当然のごとく各団体のエースが拒否反応を示す中、真っ向から反応したのが前田日明でした。

 

前田は「RINGSとUインターで7対7の対抗戦をやろう」と逆提案しますが、Uインター側は断固拒否。「前田さん、ごちゃごちゃ言わんと待ってます」(高田)「高田さんを出すまでもない、僕でも(前田に)200%勝てる」(安生)「どこの馬の骨かわからない選手と対抗戦はできない」(宮戸)などと挑発し、両団体の関係はさらに悪化。

 

結局、このプランは何も生むことなく、消滅しました。

 

●1994 Uインター 安生が道場破りに失敗、団体内に亀裂が

UWFインターナショナルは一億円トーナメント不発を挽回しようと、次なる標的を投じ、”最強”とウワサされていたヒクソン グレイシーに定めます。

 

しかし1994年12月、安生洋二が単身、ロスアンジェルスのグレイシー道場破りを敢行するも返り討ちに遭い、”最強”を掲げた団体イメージが失墜。客離れに歯止めが利かなくなり、経営的に窮地に陥りました。

社長として団体経営に疲れたエース高田は1995年6月の試合後に突如、引退宣言。
その後、参員選挙に出馬するも落選します。

 

団体内では宮戸が経理担当の鈴木健氏の不正を糾弾、田村潔司が高田に「僕と真剣勝負してください」と迫るなど、内部崩壊寸前の状況でした。

 


 

こうして迎えた1995年。

二度と交わることはない”絶縁”状態の両団体でしたが、思わぬことから事態が動き始めます。

●新日本 「平和の祭典」での巨額な負債

新日本プロレスはG1クライマックスの成功、闘魂三銃士の台頭もあり興行成績は順調でしたが、1995年4月28、29日に北朝鮮で開催された猪木発案の「国際平和のための平壌スポーツ国際文化祭典」での北朝鮮側からのギャラが一切支払われず、2億円にも上る負債を抱える事態に陥っていました。

●山崎一夫の移籍で遺恨が再燃

1995年8月12日、新日本プロレスの「G1 CLIMAX」両国三連戦直前、Uインターが新日プロに対し、フリー参戦していた山崎一夫の出場停止を勧告する通知書を送り、マスコミに向けてFAXで公開。

 

山崎は前年の1994年7月にUインターを退団。”高田至上主義”でNo.2の山崎をかませ犬的に扱うマッチメーカーの宮戸とは確執が噂され、かねてから山崎を評価していた長州が一本釣りして新日参戦につながった、と噂されていました。

 

Uインター側は8月15日に安生、鈴木健両取締役が会見を開き、「山崎の契約は1996年(平成8)年5月30日まで残っている。新日本プロレスともあろう団体がウチの山崎一夫に頼らなければ、お客さんが呼べないのか」と非難。

 

これに対し新日本の現場監督である長州力は「山崎と高田のところの問題で、お門違いだぞ。なぜ敢えて最終戦の今日、会見をやるんだ。俺に言わせれば三バカ(安生、鈴木、宮戸)がギャーギャー言っているだけ、これ以上言っちゃうと罵り合いになっちゃうから、俺はコメントにならないってことです」と呆れ顔。しかし、この頃にはUインターの内情を察知した新日側は、すでに水面下で動き始めていました。

 

●急転直下、全面戦争実現へ

 

3日後の8月18日、新日本プロレスは長州の署名入りの返答声明FAXをマスコミとUインターに送付。
「速やかな解決を望むならば、代表取締役である高田延彦氏が我々の前面に出て意見を言うべきだろう」と要求。

 

そして8月24日、長州は新日本の事務所で会見を開きます。

 

長州は東京スポーツ記者に「暴言を吐いたことを謝罪する、話し合いのテーブルに付きたい」と発言し、同時刻に会見を開いていたUインターの高田に電話を取り次ぐように依頼。唐突に、長州と高田による電話会談が実現しました。

長州は電話を終えるとフロントに「ドームを押さえろ」と指示。そしてマスコミに対し「高田との話し合いで10月9日、東京ドームでUインターとやります!全部、個人戦。向こうの選手、全部出す。ウチも出すから、相手がどうのこうので試合ができる、できないは言わせないぞ。Uは東京ドームで消す!」と宣言。

 

こうして急転直下、犬猿の仲であった両団体のドーム決戦が決定しました。

 

●前哨戦 9・23 横浜アリーナ

1か月後の9月23日、新日本プロレス横浜アリーナ大会で、両軍が前哨戦を行いました。

 

カードは長州力&永田裕志vs安生洋二&中野龍雄。

長州は因縁の相手、安生との対戦パートナーにアマレス実績のあるキャリア3年目の永田を指名。異様な緊張感と轟轟たる声援の中、両軍は一進一退の攻防を見せ、永田、安生共に顔面が腫上がるほどの打撃の攻防を見せました。

長州も普段は見せないアマレスのムーブを見せ安生を圧倒、貫禄を見せつけますが、試合は中野の腕十字で永田がギブアップ。Uインター勝利で終わります。

●そして10・9決戦!

そして迎えた決戦当日。この日は平日開催、それも月曜日にもかかわらず、東京ドームは超満員の観衆で膨れ上がり、異様な雰囲気に包まれました。

私も会社の同僚と仕事もそっちのけで観戦に行きました。この大会は急ごしらえ、という感じでセットも演出も最低限でしたが、それがかえって”全面戦争”感を演出していました。発表から2か月しかありませんでしたがチケットは即完売。場内は外野までギッチリ超満員で、ほんとによく入っていました。主催者発表は6万7千人とのことですが、実感としてこの大会と「猪木引退興行」の2つは、数あるプロレスの東京ドーム興行の中でも双璧の観客動員だったと思います。

 

激突!! 新日本プロレス 対 UWFインターナショナル 全面戦争 1995年10月9日(月曜日) 東京ドーム 観衆6万7000人(超満員札止め) 18:30試合開始

 

第1試合 〇石沢常光、永田裕志vs金原弘光、桜庭和志●(1/30)

 

観戦したアントニオ猪木がベストバウトと評した対抗戦初戦は、両者の意地と技術がぶつかり、白熱の好勝負となりました。

アマレスの素地を持つ石沢(後のケンドーカシン)、永田、桜庭の中で一人キックトランクスにはだしの金原が異色で、一人だけ異種格闘技戦のようでした。

後にグレイシーハンターとしてブレイクする桜庭はまだ地味でしたが、新日コンビと互角に渡り合い、見た目によらない気の強さも垣間見えました。

結果は10分47秒、石沢が三角締めで桜庭からギブアップ勝ち。

 

第2試合 〇大谷晋二郎vs山本健一●(1/15)

 

この試合はデビュー数か月のヤマケンに対し、大谷が格の違いを見せつけて完勝。
何度も決めて見せた大谷のタックルは見事でした。

結果は7分18秒、ダブルリストロックで大谷勝利。

 

第3試合 ●飯塚高史vs高山善廣〇(1/30)

 

2連敗のUインター、この試合は高山の出世試合に。

後に”帝王”と”極悪ヒール”になるなんて、当時の両者からは想像もつきません。

結果は7分39秒、高山が格上の飯塚を腕ひしぎ十字固めで下しました。

 

第4試合 ●獣神サンダーライガーvs佐野直喜〇(1/30)

 

この試合だけ他とは意味合いが違います。

かつてのライバル同士、ライガーは卍固めやコブラツイスト、佐野もトペでこれに応え、新日Jr.時代の名勝負数え歌を再現。

結果は10分14秒、佐野が猛虎原爆固めでピンフォール勝ち。

 

第5試合 〇長州力vs安生洋二●(1/45)

 

一転してこの日一番の遺恨マッチ。

臆せず打撃で攻める安生に対し、長州は無言で距離を詰め、頭突きをカマし、タックルも見切るなど完璧に封じ込め場内大爆発。

結果は4分45秒、長州がバックドロップ~ラリアット~サソリ固めで完勝。

試合後にかの有名な「キレちゃいないよ」が飛び出しました。

 

第6試合 ●佐々木健介vs垣原賢人〇(1/45)

 

この日一番、貧乏くじを引いたのがケンスキーでした。
入場から不貞腐れモードの健介、キャリア、格共に下のハズの垣原に敗れる波乱。

結果は9分13秒、ビクトル式膝十字固めで垣原の勝ち。

試合後の会見でケンスキーの迷言「ポカやりすぎた」がさく裂しました。

 

第7試合 〇橋本真也vs中野龍雄●(1/45)

 

横アリで永田からギブアップ勝ちを収めた中野と、当時新日の強さの象徴だった”破壊王”橋本。

橋本は序盤こそ関節技の攻防に付き合いますが終盤、猛然と袈裟斬りチョップと爆殺キックでラッシュ。結果は7分20秒、三角締めで橋本の勝利。

 

メインイベント IWGPヘビー級選手権試合
〇武藤敬司vs高田延彦●(1/60)

 

そしていよいよメイン。この年、史上初となるIWGP王者としてG1を制覇した武藤と、”最強”高田の一騎打ちは、ここまでの対戦成績は4勝3敗。結果がますますわかりませんでした。

館内の興奮もピークに達する中、序盤は静かなグラウンドの攻防。武藤はソバット、ジャーマン、バックドロップにムーンサルトといつものムーブで攻勢をかけますが、これをかわした高田が強烈なキックで反撃。

武藤にもう切り札は残っておらず、このまま高田勝利か?というタイミングで蹴り足を掴んだ武藤がドラゴンスクリュー一閃。そのまま足四の字固めに持ち込み、16分16秒、高田からギブアップを奪い勝利。

この瞬間、ドームは大爆発し、引き上げる高田の背中に「高田、前田が泣いてるぞ」という罵声が何度も浴びせられました。

天下分け目の大一番、それもこのタイミングで「ドラスクからの力道山時代からの古典的プロレス技、四の字固め」を繰り出し、”U”を破るあたりに、武藤のセンスが絶賛されたワケですが・・・私はかつて、初のドーム興行で橋本がソ連レスラー、ザンギエフに四の字で勝ったのを思い出すと共に、このカードが橋本vs高田だったら、とか考えてしまいました(後に実現しますが)。

 

武藤選手ご本人もこの試合は最高傑作の1つ、とのことですが・・・武藤選手のカラーは殺伐とした対抗戦に合わないんですね。この日も入場から余裕のパフォーマンスを見せ、なんというか「いつものプロレス」で・・・(これは当日、解説を務めていた猪木さんにも厳しく指摘され、リターンマッチの1・4では一転してシリアスモードで入場してきたのには笑いました)。

●この対抗戦の残したもの

全面戦争の結果は、5勝3敗で新日本プロレスの完全勝利。

しかし仮にほかの試合でUインターが全勝していたとしても、メインで高田が負ければ同じことでした。ヒクソン戦敗北のイメージがある今では考えられませんが、それくらい、当時の高田延彦の”最強”ブランディングは強烈だったのです。「高田、前田が泣いてるぞ」のファンの声の通り、高田敗戦は個人の負けに留まらず、イコールUWFというイデオロギーが新日本プロレスに敗北したことを意味します。

長州力は宣言通り、「Uを消す」ことに成功すると共に、この大仕掛けを”猪木なし”で実現させたプロデューサーとしての評価も高まり、その権力はさらに強化されました。この対抗戦と、続く一連の新日vsUインター抗争興行で新日本プロレスは莫大な収益を叩きだし、北朝鮮「平和の祭典」での負債を一気に返済。加えて、Uインター高田延彦というブランドに完全勝利した効果で新日本プロレスの興業人気も高まり、ここから新日本プロレスはドーム興行を連発する”第二次黄金期”を迎えることになります。

 

一方、高田が敗れたUインターの凋落は激しく、翌年の1・4で高田が武藤に勝ちIWGPを戴冠してもファンの支持は戻ることはなく、その後の対抗戦の連発で完全に新日本プロレスに取り込まれていきました。こうなると単独興行での集客も難しくなり、Uインターは坂道を転がるように崩壊して行きました。

 

後に、当時の顛末を多くの関係者が証言しています。

 

当時、犬猿の仲だった両団体が水面下で交渉した理由は、双方ともに台所事情が苦しく、利害が一致したため。鈴木健氏と対立した宮戸氏が蚊帳の外に置かれたことも、新日サイドからすると好都合でした。

 

ドーム決戦を後から知った宮戸氏は「カネのためにUインターを切り売りするのか」と猛反対し、若手を集めて説得を試みますが失敗。表舞台から完全に消えました。この日、闘魂三銃士の一人、蝶野正洋のカードがないのは「蝶野正洋vs宮戸優光を組んだが、宮戸が出場を拒否したため」とされましたが、最初からこのカードはなかったんじゃないかと思います。

 

もう一人、自らの意思で対抗戦に出場しなかった田村潔司選手曰く、「10・9当日はUインター道場で練習していたら宮戸さんもいて・・・お互いそのことには触れず、普通に練習してメシ食って帰りました」とのこと。なんかすごいですね。

 

私は後に、用賀の壱屋苑で鈴木健氏に当時の話を聞いたことがありますが、「後で星を取り返したとはいえ、あそこで高田さんが負けたことがすべて。ダメージが想像以上にキツかった」と語っておられました。

コメント

  1. MSG より:

    「なぜ武藤は髙田戦で不安を抱えていたのか? 新日本vsUインター対抗戦の舞台裏。長州と高田の電話会談アングルが大成功!」というYouTubeの動画で、この記事の内容がおもいっきり丸パクリされていますね。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!知りませんでした、またしてもパクられましたか(笑)ここ最近のYouTubeのプロレス関連のChの乱立はスゴイですね。。。
      実は前にも同様の丸パクリがあり、抗議したらChオーナーから「業者に依頼して作成してるので知らなかった」と説明されました。
      業者がネタを探す際に、このBlogは格好の草刈り場なんでしょう・・・せめて自分で調べて作ってほしいものです・・・。

  2. ヨンタ より:

    逆ですわ。むしろ武藤がリラックスしてたのはvs高田2ndの方。入場ですぐ解りましたもん。1stの方はね、入場で最初に両手広げるやつので「あ、緊張してんな、やべぇなこりゃ」って即解りましたね。武藤と同じ自由奔放の極みのB型同士感じ合える何かがあるんですよと私が勝手に解釈してます笑

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。猪木さんが怒ったのは武藤選手が実際緊張していたかどうかじゃなく「日本人の超大物同士、団体の存亡をかけた対抗戦の緊張感をどう表現するかの手法が間違ってる」という指摘だったのだと思うのです。「あの大事なシーンで客にアピールとかいらねぇだろバカ」という。もっとも、それも猪木さん流の捉え方で、当の武藤さんは「うるせーなぁ、どうだっていいじゃん。時代が違うんだよ。アピールくらいさせろよ」くらいにしか思わなかったでしょう(笑)
      けど、いちおう従ってシリアスにしてみた、が2ndの入場シーンだと私は捉えています(笑)

  3. タミー より:

    当時UWFはガチだと思ってた。
    なので武藤戦が四の字固めと言う、「プロレスでの」古典的な関節技で決まったことに驚いた。
    蹴りと関節技が売りのUWFが寄りにも寄って四の字で負けるとは、武藤って本当に強いだなと思いましたよ。

    長州VS安生の試合も強い方がど真ん中で構える図式が見れて面白かったです。
    鶴田VS長州とは逆で今度は安生が長州の周りを回る!

    今では長州、武藤、高田、安生とみんな仲良くなっちゃって…(笑)

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。散々文句を言ってますが(笑)、三銃士の中でも最もアメプロの匂いのする武藤が、四の字でUに勝った、というのがポイントなんですよね。
      後にわかることですが武藤は若手時代から相当、強かったそうで。スペースローンウルフ時代も、出戻り時代の前田にガンガン蹴られても平気な顔してましたもんね。

  4. サンタ より:

    第4試合は、佐野直喜の勝利でした。

    武藤選手のドラゴンスクリューが決まった瞬間の高田選手の表情!と会場の盛り上がり!!

    新たな決め技が生まれた瞬間でもあり、それを“説得力”として伝えられるのは、やはり武藤選手は…上手いレスラーであり、すぐれた決め技なのですね。

    1973年生まれとして、いつも楽しく拝見しております。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!
      やっぱり佐野選手の勝ちですよね・・・再度調べて書き直します。。。
      私はあの大会、正直第一試合が50%、長州-安生が25%でメインは20%くらいの比率でした。
      なんというか、武藤も高田も微妙だったんですよねぇ・・・。やっぱり橋本だったらもっと・・・と感じてしまいました。
      スタイルの好みの問題で少数意見だと思いますが(笑)

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