「海賊男」とは?〜“天才“アントニオ猪木の 大スベリ ギミック

※当サイトで掲載している画像や動画の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属します。

ID:10423

プロレス
スポンサーリンク

近頃また、プロレス界で「海賊男」の名前を耳にするようになりました。

 

今回は昭和の新日本プロレスをいろんな意味で騒がせた、稀代の天才アントニオ猪木の大スベリ ギミックであり、新日本プロレスの黒歴史、「海賊男」とは何だったのか?をご紹介します。

謎の海賊男現る!

 

1987年初頭、遠征中の武藤敬司選手がフロリダ州タンパの試合会場で「ホッケーマスクを被った謎の人物」に襲撃される「事件」が発生。

この様子は東スポを始めとしたプロレスマスコミ、そしてテレビ朝日「ワールドプロレスリング」でも取り上げられ、いつしか謎の「海賊亡霊」「海賊男」と呼ばれるようになりました。

 

そしてその後、新日本プロレス事務所に「海賊ビリー・ガスパー(Billy Gaspar)」と称する人物から「日本を襲撃する」との予告状が!

 

…もうこの時点で、当時のほぼすべてのプロレスファンは「いつの時代だよ」と、あまりに古臭すぎるストーリー作りに失笑を禁じ得ませんでした。

 

発案・正体はアントニオ猪木!

 

タイトルでネタバレの通り、このアイデアの発案者は誰あろう、当時の新日本プロレス社長 兼 大看板のアントニオ猪木さんに違いありません。

 

猪木さんは格闘技戦、ストロングスタイルとこれまでのプロレス界とは異なる「硬派」「シリアス」な路線で一時代を築きましたが、その反面、興行師として「チケットが売れる、話題になるならなんでもアリ」という側面もあるのです。猪木さんはよく「木戸銭(入場料)を払って来てもらうには、観客に驚きを与えないといけない」と、「ハプニング」の必要性を語っていました。

 

要するに、「最初はゲテモノ、話題先行でも構わない。肝心の試合がしっかりしていて客に笑われなければOK」であり、自身のプロレスはそれだけのクオリティだ、という自信に溢れていたのでしょう。

 

かつてのライバル、タイガー ジェット シンも当初は嘲笑される“キワモノ“扱いでしたが、自身との血で血を洗う過激な抗争でドル箱レスラーになり、旗揚げ初期の新日プロレスの人気を支えました(シンにサーベルを咥えさせたのは猪木さんだと言われています)。

 

(初代)タイガーマスクも初登場時には「子供騙し」「お子様ランチ」と見る向きの方が多かったのですが、類い稀な身体能力であっという間に空前のブームを巻き起こす超人気モノに。

 

それ以外にも超巨漢の「マクガイヤーブラザーズ」、師匠・力道山時代の遺物「密林王 グレートアントニオ」、増殖する「マシン軍団」、煙を噴射する甲冑をまとった皇帝戦士「ビッグバンベイダー」などなど…新日本プロレスにはたびたび「わかりやすい」キャラクターが登場しました。

 

この硬軟、シリアスとエンタメの振り幅もまた、アントニオ猪木さんの魅力なのです。

 

「海賊男」が”大スベリ”した2つの理由

 

こうした稀代のアイデアマン、アントニオ猪木さんの発案にも関わらず、「海賊男」が「大スベリ」した理由。それは、大きく2つの理由からでした。

 

①行き当たりばったり、杜撰過ぎて回収されない伏線

 

そもそもフロリダに初登場し、武藤敬司選手を襲った「初代海賊男」はいまでは「アントニオ猪木さんご本人だった」のが通説です(当時はまだ猪木がそんなことするわけない、という時代でしたけどね)。

 

しかしながら大看板の猪木さんがずっと「海賊男」を演じ続けられるはずもなく、当の猪木さん本人もそのつもりはさらさらなかった。おそらくは「なんか話題なればいいなとのノリでやってみた」んだろうと思われます(笑)。

 

そのためその後、散発的に新日マットに現れる「海賊男」はその都度「中の人」が変わり、判明してるだけでも木村健吾さん、小林邦昭さんらのベテランから越中詩郎さん、馳浩さん、蝶野正洋さんなどが「やらされ」ています(もはや罰ゲームです)。

 

そのため出てくるたびにキャラが一貫せず、「正体も動機も不明」「狙う相手もその都度違う(藤波さんも一時狙われた)」という存在で、ファンからすると感情移入するどころか「またはじまったよ」「いつまでやってんの」にしかなりません。

 

初期は「武藤が狙われている」「登場する際会場が停電する」などの定番ギミックもあったような気がしますけど、それらもまったく統一されたフォーマットではなく、まさしく「行き当たりばったり」。「ちょっと何やりたいのかわかんない」グダグダぶりでした。

 

当然「乱入」で試合がぶち壊しになるので、チケットを買って会場に来た観客が、喜ぶハズもありません。

 

団体関係者も発案が猪木さんなだけに、「海賊男をどう扱ったら正解なのか?」わからないままだったのでしょう。

 

②動機が不純、タイミングも最悪

 

もう一つの理由。そもそもこうした悪役(ヒール)キャラクターは、正義の味方(ベビーフェイス)を輝かせるためのアクセントであるべきなのに、やられた武藤敬司さんはまったく徳をしてません。

 

それはこの「海賊男」誕生の狙いが「武藤売り出しのため」ではなく「論点ずらし」だったから、だと思うのです。

 

なんの論点か、といえば「世代闘争」です。

 

この当時、UWFの前田日明さん、ジャパンプロレスの長州力さんが新日本プロレスに「出戻り」し、藤波さんも含めた「ニューリーダー」軍を結成。猪木さんに対して「世代闘争」を迫っていました。

 

これに対し猪木さんは坂口征二さん、マサ斎藤さん、藤原喜明さんなどと「ナウリーダー」軍を結成して対抗(藤原さんは年齢的にはニューなのにルックスがナウというすごい理由でコッチ側に)。

 

それだけではこの時代の波に対抗しきれない、と判断した猪木さんは無関係のディックマードック、そして武藤敬司さん、山田恵一さんなどの若手を抜擢して、この「世代闘争」を有耶無耶にするべく、奇策を打ち続けていた時期です。

 

そのためこの「海賊男」は猪木さんの「話を逸らして延命するためのストーリー」としか映らず、猪木vs長州、猪木vs前田などが観たいファンからすると「そんな余計なこたぁいいから、世代闘争やれよ」と言われる存在でした。

 

海賊男ズンドコ伝説の真骨頂、手錠掛け違え暴動事件!

 

そんなスベリっぱなしの海賊男がなぜ、今なおプロレスファンの記憶に刻まれているのか。

 

それは、1987年3月26日に大阪城ホールで開催された「INOKI闘魂LIVE」で前代未聞の大失態をやらかし、暴動の元凶となったからです。

 

この日のメインイベントは、アントニオ猪木vsマサ斎藤戦。試合中盤、突如として乱入した海賊男は、マサ斎藤に手錠をかけて連れ去ってしまいます。

 

突如リングから対戦相手がいなくなるハプニングに場内は騒然。マサ斎藤は控室で(慌てて)手錠を外して戻って来ますが、この後の試合は大荒れに。いつの間にかマサ斎藤が反則負けとなり、グダグダで終了。

 

これに怒った観客が終了後も居残り、暴動事件に…。

 

当時は謎すぎる展開でしたが、本来なら

 

●マサ斎藤に加担する海賊男がマサに手錠を渡す→2人がかりで猪木を攻撃→海賊男が撃退される→猪木がマサに手錠をかけて「手錠マッチ」となる

 

あるいは

 

●海賊男がロープと猪木を繋ぐ→ロープを外して猪木が脱出→海賊男を撃退→猪木とマサが「ノーロープ手錠マッチ」になる

 

という流れになるハズでした。

 

ところが、この日の海賊男の「中の人」ブラックキャットは、メキシコからの留学生。日本語がうまく理解できず & 慣れない大役に緊張したのか、よりによって「自分とマサ斎藤」を手錠でつないでしまいます。

 

この瞬間、マサ斎藤、レフェリーのミスター高橋、アントニオ猪木、そして当の海賊男本人までリング内の全員が「?」になってる様が、いま観ても爆笑です(個人的には大ポカやらかしたキャットがその後、どういう叱責を受けたのかが興味深いのですけどね…)。

 

この展開は両国国技館での再戦で、馳浩が代役を務めてそのまんま再現されました(海賊男はなかったことに)。

 

結局、「海賊男」とは何だったのか?

 

こうした大失態で、さらに意味不明さが増した海賊男。

 

その後、マサ斎藤がパートナーとして起用したり、ボブオートンJr.が中に入った「ホンモノ」が登場したり、アントニオ猪木と対戦したり(猪木自身がホッケーマスクで入場してネタバレを暗示)などなど、

長年に渡ってネタにされ「忘れた頃に登場」を繰り返しましたが…

 

正直、「大舞台で大スベリした漫才師がそれをネタにして漫才してさらに大スベリした」感覚で、痛々しくて見てられませんでした。

 

いまなお登場する「海賊男」は、こうした黒歴史を踏まえた上で、「敢えてスベったネタを擦る」感覚なのでしょう。

 

「海賊男」とは、プロレス界の悪い部分(安直で杜撰)を具現化した存在なのです(笑)。

 

・・・と、私なりの結論を書いた後で、このエピソードをご紹介して、終わりとします。

 

2018年12月、マサ斎藤応援興行「STRONG STYLE HISTORY~Go for Broke!! Forever~」に、予告付きで海賊男が登場。パーキンソン病で介助なしでは立てないマサ斎藤さんを強襲するハプニングが起きました。

闘病中のマサ斎藤さんは観客の声援を受けて立ち上がり、奇跡のパンチとストンピングで反撃。ここで海賊男は自らホッケーマスクをとり、正体が武藤敬司であることを明らかにしました。

 

武藤さん曰く「どこまでやっていいか躊躇ったけど、マサさんの目が“もっと来い!“ってさぁ」と語り、不屈のプロレスラー魂に感動の大団円。

 

大阪暴動以来、因縁の深いマサ斎藤さんと、初代・被害者の武藤さんによる粋な演出。“黒歴史“がこんな使われ方をするのもまた、プロレスならではですね。

 

<関連記事>

新日本プロレス暴動の歴史!

コメント

  1. UGS より:

    初めまして。UGSと申します。
    私も1972年ふたご座生まれです。
    80年代のプロレスに関する記事を探していたらここに辿り着きました。
    実はこれまで色々と拝見させて頂く中で是非コメントしたい記事が他にあったのですが、なかなか出来ないまま海賊男の記事が出て来たところでまずはこちらからコメントさせて頂きます。

    海賊男を登場させた経緯は、ワールドプロレスリングが金8枠から月8枠に移動した事が大きく関係していると推測します。
    同じワールドプロレスリングと言う名前の新日本プロレスの中継番組ではありますが、放送曜日が変わった事で番組としても内容を変えないといけないと考えたのではないでしょうか?
    移動先の月8の裏番組には既にTBSの時代劇や日テレのトップテンが長年に渡り君臨してましたね。そして両者の視聴者層をざっくり推測すると、時代劇は熟年層、そしてトップテンはヤングアダルト層と思われます。
    となると月8枠としてのターゲットはファミリー向け、つまり親子で楽しめるような構成を目指したのではないでしょうか?
    それと猪木の年齢的な衰えもそうですが、古舘もフリーになったので間もなく実況を卒業するのが既定路線でしょうから、いずれにせよ新しい中継スタイルの確立が求められていたのは間違いありません。

    そう考えると、「分かりやすい」キャラを作ろうとしていた事は非常に良く理解出来ます。
    実際猪木の師匠である力道山は「興行」の為に外国人レスラーを来日させるにあたり、プロレスの出来るテクニシャン系と見てるだけでお客さんが楽しめそうなバケモノ系を使い分ける事が必要と考えていたそうです。とは言え当時まだまだ入門して日が浅い猪木が師匠からそんなノウハウを直接聞いていた訳ではないでしょうが、猪木の事だから言われなくてもどうしたらお客さんが喜ぶのかを自分の嗅覚で嗅ぎ取っていたのかもしれませんが。

    結局その分かりやすさを追求しようとした結果として、海賊男→ギブUPまで待てない→TPGと既存のファンの理解を得られずに迷走が続き、ついにはゴールデンから撤退して深夜枠へと追いやられましたね。

    でも今改めて金8枠時代を考えてみると、次々殉職者を出す太陽にほえろや、中学生の妊娠や校内暴力を取り上げた金八先生が裏にいた事を思うと、ワールドプロレスリング自体も心置きなく?過激な戦いを繰り広げられたのかもしれません。でも移動先は夜とは言え「ブルーマンデー」になりましたからね・・・。

    初投稿ながら長文大変失礼しました!
    これからも投稿させて頂きますので宜しくお願い致します!!

    • MIYA TERU より:

      USGさん、ありがとうございます。海賊男はTV局の意向?との考察、興味深いです。
      確かにあの当時は視聴率も伸び悩み、プレッシャーもあったでしょう。ファンには大ヒンシュクの「TPG」や「ギブアップまで~」化は新日側も了承(協力)してたんでしょうしね。
      ただ、猪木時代にどこまでTV局の意向が強かったのかは謎です。どちらかというと猪木さんの意向の方が強かったんじゃないかと。
      黎明期は中継車に乗り込んでカット割りまでダメ出ししてたとのエピソードもありますしね。

      話は変わりますが私はいまの「ワールドプロレスリング」、カメラワークがダメダメだとずっとイライラして観ています。
      なぜあの立体的な試合を、ヒキではなくハンディの画を使うんですかね。猪木さんがいたら激怒されてるよな、とずっと思ってます。

  2. みしま より:

    MIYA TERUさん
    初めまして。3年ぐらい前だったか、「上田馬之助」を検索してこのブログにたどり着いて以来、同世代(1972年生まれ、うお座)として毎回「いいとこ突いてくるなあ」と感心しつつ楽しく拝見しております。

    80年代後半の新日迷走期って本当にネタの宝庫でしたよね。海賊男が日本に初登場した時、ハプニングで場内が暗転したはずなのに次の瞬間にはピンスポがドンピシャでホッケーマスクの男を捉えた時のインチキ臭さたるや、当時高校生だった私も思わず失笑せずにはいられませんでした。
    とはいえ、「ギブUPまで待てない‼︎」も含め、大スベリした歴史すら時が過ぎればネタとして共有して楽しめるのがプロレスというジャンルの鷹揚さというか、ファンとしての財産だなあ、と私もしみじみ思います(全日で言えば「ラジャ・ライオン」とか聞くとついニヤニヤしてしまいますもんね)。
    それにしても、世代闘争、TPG、海賊男、巌流島…みたいな当時の流れの中で、マサさんって猪木の味方に付いたり敵方に付いたり、とにかくあらゆるアングルでホント便利屋のように使われてましたね。

    • MIYA TERU より:

      みしまさん、コメントありがとうございます!
      >同世代(1972年生まれ、うお座)として毎回「いいとこ突いてくるなあ」と感心しつつ楽しく拝見しております。
      そう思っていただけてこちらも嬉しいです。

      >大スベリした歴史すら時が過ぎればネタとして共有して楽しめるのがプロレスというジャンルの鷹揚さ
      まさにそうですよね。内輪ウケが過ぎるとサムいので、バランスが大事ですけど(笑)

      >マサさんって猪木の味方に付いたり敵方に付いたり、とにかくあらゆるアングルでホント便利屋のように使われてましたね
      それだけ猪木さんに信頼されてた、ということでもありますよね。マサさんとは日プロ~東プロ時代からの付き合いですし、やはりマサさんにはアマレス仕込みの確固たる技術と、海外渡り歩いたクソ度胸もありますし、本音では「マサは地味だからオレとやればもっと光る」的な発想も猪木さんには会ったんじゃないでしょうかね。逆に言えば「自分を光らせるのにちょうどいい」んではありますが(笑)

タイトルとURLをコピーしました