私が生まれて初めてプロレスを観た記憶。
劇画「タイガーマスク」
モノゴコロがついたときには7歳上の兄貴の本棚にあった「タイガーマスク」原作漫画を読んで育った私。「プロレスは昔の漫画の中の世界だ」と思っていた気がします。
©講談社/梶原一騎/辻なおき
兄貴の持ち物は当然、いずれも私の生まれる前の世界。ゴジラもウルトラマンも仮面ライダーもリアルタイムで続いていましたが、それよりも初期、オリジナルにどうしようもなく惹かれるものがありました。
ある日、兄貴に「タイガーマスクはいないけど、ジャイアント馬場は本当にいる、いまもプロレスをしている」という衝撃の事実を聞かされます。
昭和50年頃、まだまだ「プロレス中継」は子どもが見るものではありませんでした。ファンクスやマスカラス、ジャンボ鶴田などの活躍で若い世代が会場につめかけ、タイガーマスクで小学生にまでプロレスブームが巻き起こるのは、まだまだ後の時代です。
馬場の出る「全日本プロレス中継」は(福岡では)土曜の深夜枠だったように思います。
今にして思えば、新日本プロレスなら金曜20時からでラクに観られたのに、やはり原作タイガーマスク(再放送のアニメでも)では、猪木より圧倒的に「馬場先輩」なワケです。グレートゼブラですからね。
©講談社/梶原一騎/辻なおき
2メートルある日本人。「東洋の巨人」というキャッチフレーズにもシビれます。「ホンモノの馬場が見たい!」というのが、私のプロレスへの最初のモチベーションだったのです。それはハッキリ言って怪奇というか、怖いもの見たさです。
そして私はおそらくは親に頼み込んで、異例の夜更かしをして、初の「プロレス中継視聴」にたどり着きました。夜中まで起きているだけでも背徳的なのに、「プロレス」「ジャイアント馬場」を見るというのは、幼稚園児の私からしたらとんでもない悪いことをしているスリリングな行為でした。
そして迎えた土曜日の夜。
日本テレビスポーツテーマに乗り始まった「全日本プロレス中継」。ブラウン管の中に映し出された光景は、リングアナからレフリーから観客、放送席に至るまで見事にオッさんだらけの世界。なんとなく白いリングで霞がかかったような絵面だった記憶があります。
知らない選手たちの試合の後に、遂に登場したジャイアント馬場。着物のようなロングガウンにオレンジのでっかいタオルを首に巻いたおじいちゃんに見えました。
▲1975当時の馬場さん ©NSP、ゴング
ボボ・ブラジルの衝撃
馬場の異様なデカさにはもちろん驚きましたが、それより異様だったのは、同じくらいデッカい、漆黒というほど真っ黒で、目と歯だけ真っ白で、手のひらと唇だけピンク色をした黒人レスラーでした。
それはタイガーマスクにも登場していたので名前は知っていた「黒い魔人」ボボ・ブラジル。(タイガーマスク中ではボボ・アフリカでしたが)
そしてそのブラジルが、試合前のセレモニーで黄色い菊の花束を差し出されると、それをムシャムシャ食べたのです。
「真っ黒い人間が花を食べる…!!」
幼稚園児の私からすると、見てはいけないものを見た衝撃です。翌朝、オフクロに「菊の花は食べられる」というよくわからないフォローを受けたことも含め、この記憶が鮮明に残っています。
肝心の初観戦の試合は、さすがにまるで記憶にありません。タッグマッチだったのは覚えていますが、馬場が誰と、ブラジルは誰と組んでいたのかはわかりません。デストロイヤーも記憶にあるので、馬場とのタッグだったような気もします。
ブラジルの記録を見ると確かに75年あたりから全日マットに登場しており、花束を食べるギミック、についてもwikiに書いてありました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ボボ・ブラジル
これが記念すべき私のプロレス中継初観戦の思い出です。
その試合が何年何月の放送の、どこの会場のものなのか特定してみたいのですが、ほかに何の手がかりもないため不可能なお話です。
完
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