- 全日本プロレス 「世界最強タッグ決定リーグ戦」とは?
- ’78 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和53年)
- ’79 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和54年)
- ’80 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和55年)
- ’81 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和56年)
- ’82 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和57年)
- ’83 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和58年)
- ’84 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和59年)
- ’85 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和60年)
- ’86 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和61年)
- ’87 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和62年)
- ’88 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和63年)
- 最強タッグといえば「オリンピア」
全日本プロレス 「世界最強タッグ決定リーグ戦」とは?
昭和のプロレスファンは年の瀬が近づくと、
「オリンピア」の旋律と共に、
豪華絢爛な入場式の記憶がよみがえります。
1977年12月の「世界オープンタッグ選手権」
が大成功に終わり、
翌1978年より「世界最強タッグ決定リーグ戦」
の名称でスタート。
当時、日本プロレス界では
「年末の興行とタッグリーグ戦は当たらない」と
言われていましたが、この大会は大ヒット。
以降、毎年、年末の掉尾を飾る
全日本プロレスの看板、
恒例興行となりました。
同一名称で行われる
イベントシリーズとしては、
日本最長(現在も更新中)の大会です。
昭和の全日本プロレスは
参加ガイジン勢がとにかく豪華で、
顔ぶれが一堂に会する入場式は、
大興奮のセレモニーでした。
今回は、1978(昭和53)年の第1回から、
1988(昭和63)年の第10回までの
10年間を振り返ります。
’78 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和53年)
優勝:ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 7点
ザ・ファンクス(ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク)6点
アブドーラ・ザ・ブッチャー&トーア・カマタ(2戦のみザ・シーク)4点
ニック・ボックウィンクル&ブラックジャック・ランザ 4点
ビル・ロビンソン&ワイルド・アンガス 3点
大木金太郎&キム・ドク 0点
記念すべき第1回は、馬場&鶴田組が初優勝。
メンバーは6チームと少数精鋭。
当時、馬場&鶴田組とインタータッグ王座を争っていた
大木&ドク組は、まさかの0点で最下位・・・。
ニックとロビンソンは、
パートナーがイマイチ過ぎました。
ちなみにブッチャーは開幕時はシークと組んでいましたが、
シークがファンクス戦で右手を負傷し、途中帰国。
急遽カマタ来日し、パートナーチェンジとなりました。
’79 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和54年)
優勝:ザファンクス(ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク)11点
ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 9点
アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク 8点
ミル・マスカラス&ドス・カラス 6点
大木金太郎&トーア・カマタ 4点
ミスター・レスリング&マスクト・ストラングラー(ホセ・リベラ)2点
ワフー・マクダニエル&フランク・ヒル 0点
前年より1チーム多い、計7チームが参加。
ファンクスが初優勝し、マスカラス兄弟も奮闘。
大木はパートナーを戸口からカマタに代えて参戦しましたが、
注目のvsブッチャー&シーク組戦は実現せず。
ワフーとミスター・レスリングは名選手ですが、
パートナーがイマイチ過ぎました。
’80 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和55年)
優勝:ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 9点
ザ・ファンクス(ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク)8点
アブドーラ・ザ・ブッチャー&トーア・カマタ 8点
ニック・ボックウィンクル&ジム・ブランゼル 4点
ディック・スレーター&リッキー・スティムボート 4点
ビル・ロビンソン&レス・ソントン 3点
ザ・シーク&グレート・メフィスト 0点
この年は、前年から続くブッチャーvsシークの抗争と、
リッキーの初来日が目玉。
共に2年ぶりに参加のニックとロビンソンは、
今回もパートナーに恵まれず。
最終戦はファンクス有利に展開するも、
時間切れ間近にドリーにロープに振られた馬場が
リングインするテリーとぶつかり、リングアウト負けという
グダグダな結末で馬場&鶴田組が2度目の優勝。
’81 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和56年)
優勝:ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ 12点
ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 11点
ザ・ファンクス(ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク)11点
タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 10点
ハーリー・レイス&ラリー・ヘニング 8点
ザ・シーク&マーク・ルーイン 4点
バロン・フォン・ラシク&キラー・カール・クラップ 2点
天龍源一郎&阿修羅・原 2点
大熊元司&グレート小鹿 2点
この年はブッチャーの新日移籍を発端とした
”引き抜き合戦”の年。
新日プロからシン&上田コンビが参戦。
天龍革命前の「龍原砲」もこの年が初参加。
馬場&鶴田の「師弟コンビ」、
ドリー&テリーの「ザ ファンクス」を
抑えて優勝したのはブロディ&スヌーカ。
最終戦、ブロディ組セコンドに
ハンセンが登場、試合にも介入。
試合後は馬場、鶴田らと大乱闘となり
翌年からの「ハンセン全日参戦」が
確定事項となるなど、衝撃の閉幕となりました。
’82 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和57年)
優勝:ザ・ファンクス(ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク)9点
ブルーザー・ブロディ&スタン・ハンセン 8点
ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 8点
ハーリー・レイス&ディック・スレーター 7点
天龍源一郎&阿修羅・原 5点
リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド 3点
上田馬之助&スーパー・デストロイヤー 0点
ハンセン&ブロディの
”ミラクルパワー(超獣)コンビ”が
初参加し、大会を席巻。
ブロディと「仲間割れ」したスヌーカは
当初、レイスとのコンビが予定されましたが、
WWFに転身したため代役はスレーター。
テリーが翌年夏での引退を発表、
最後の参加となるファンクスと
馬場&鶴田も交え3つ巴のリーグ戦は、
猛威を奮う「超獣コンビ」が
馬場&鶴田にも完勝し、
最終戦でファンクスも撃破して
初優勝か?と思われましたが、
ブロディが羽交い絞めしたテリーへの
ハンセンのラリアットに
ジョー樋口が巻き込まれて反則負け。
ファンクスが辛勝で優勝となりました。
ハンセンのラリアット軌道に
わざわざ歩み寄るジョーさんの
職人芸にファンは溜息・・・。
この年の開幕戦、後楽園ホールでの
ハンセン&ブロディvsリッキー&ジェイは
名勝負として今なお語り草です。
番外編:夢の対決
この「世界最強タッグリーグ」では
「夢の対決」シングルマッチが
行われるのも恒例でした。
私はこの1982(昭和57)年12月7日、
福岡国際センターで行われた「夢の対決」
シングルマッチ4試合を、生観戦しました。
(私はフツーのリーグ戦が観たかったのに、
行ってみたらそうだっただけなのですが)
対戦カードは、
テリー ファンクvsブルーザー ブロディ
ドリー ファンクjr.vsスーパー デストロイヤー
ジャンボ鶴田vsスタンハンセン
ハーリー レイスvsリッキー スティムボート。
もっとも、この当時の全日本プロレスは
「なにかといえば両者リングアウト、
もしくは反則決着」の時代。
テリーvsブロディもハンセンvs鶴田もドロー決着で
特段、いい試合でもなんでもありませんでした。
そういえば、レイスとリッキーの対決は、
特別レフェリー ルー・テーズでした。
それよりも前座で、赤パンツ時代の
越中詩郎vs三沢光晴のシングルマッチを
観たのが、よい思い出です。
’83 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和58年)
優勝:ブルーザー・ブロディ&スタン・ハンセン 12点
ジャンボ鶴田&天龍源一郎 11点
ジャイアント馬場&ドリー・ファンクJr. 11点
ミル・マスカラス&ドス・カラス 6点
タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 4点
マイティ井上&阿修羅・原 2点
ロン・フラー&バリー・ウィンダム 4点
ザ・モンゴリアン&鶴見五郎 0点
この1983年8月31日、
テリーファンクが引退。
ドリーは馬場とコンビを結成。
鶴田と天龍の「鶴龍コンビ」が
初参加となりました。
優勝争いは予想通り超獣コンビと鶴龍コンビ、
馬場&ドリー組の三つ巴となり、
最終戦で馬場&ドリーはシン&上田に
両軍リングアウトとされて脱落。
最終戦、「鶴龍」vs「超獣」の直接対決は
ハンセンが天龍をラリアットで撃沈。
「超獣コンビ」堂々の初優勝となりました。
福岡国際センターでの
マスカラス組との不穏な絡みも
話題を呼びました。
’84 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和59年)
優勝:ジャンボ鶴田&天龍源一郎 11点
ブルーザー・ブロディ&スタン・ハンセン 10点
ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル 10点
ザ・ファンクス(ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク)8点
ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス 7点
ジャイアント馬場&ラッシャー木村 2点
ワンマン・ギャング&鶴見五郎 2点
タイガー・ジェット・シン&マイク・ショー 0点
この1984年は、実に豪華な参加メンバー。
前年度優勝の「超獣コンビ」
準優勝の「鶴龍コンビ」
テリーの復帰で復活した「ザ・ファンクス」に、
AWA元世界王者のニックと
元NWA世界王者のレイスの
「帝王コンビ」。
さらに新日プロから電撃移籍となった
キッド&スミスの「ブリティッシュ ブルドックス」。
直前まで「ミステリアス パートナー」とされていた
馬場のパートナーは、なんと
第一次UWFを離脱したラッシャー木村でした。
最終戦は前年同様、「鶴龍」vs「超獣」となり、
天龍がハンセンのラリアットを食らい戦線離脱する中、
鶴田が孤軍奮闘。ハンセンの反則暴走で
「鶴龍コンビ」が辛くも初優勝となりました。
ラッシャー木村は名古屋大会で造反して
馬場と仲間割れ。
鶴見、剛竜馬、菅原伸義と「国際血盟軍」を結成。
さらにはこの名古屋大会のメイン終了後、
長州力率いるジャパンプロレス勢が登場。
翌年からの全日参戦を宣言しました。
一方、ブロディの移籍によって
「超獣コンビ」最後の最強タッグリーグ戦と
なってしまいました。
’85 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和60年)
優勝:スタン・ハンセン&テッド・デビアス 7点
ジャンボ鶴田&天龍源一郎 6点
長州力&谷津嘉章 6点
ジャイアント馬場&ドリー・ファンクJr. 6点
ハーリー・レイス&ジェシー・バー 6点
ニック・ボックウィンクル&カート・ヘニング 5点
ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス 5点
ラッシャー木村&阿修羅・原 5点
ブロディ不在となり、ハンセンは
デビアスとコンビ結成。
新日から移籍した長州&谷津が初参加。
レイスとニックは帝王コンビを解消し、
それぞれ若手を連れて参戦。
史上稀に見る大混戦の中、
勝ち星が最も多かった
ハンセン&デビアスの新コンビが優勝。
’86 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和61年)
優勝:ジャンボ鶴田&天龍源一郎 10点
スタン・ハンセン&テッド・デビアス 10点
長州力&谷津嘉章 9点
ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク 9点
テリー・ゴディ&キラー・カーン 8点
ジャイアント馬場&タイガーマスク 6点
リック・マーテル&トム・ジンク 6点
ラッシャー木村&鶴見五郎 4点
阿修羅・原&スーパー・ストロング・マシン 0点
全日は当時、ジャパン勢、ハリケーンズ、
国際軍など日本人レスラーが飽和状態。
その中で今大会は馬場&タイガー、原&マシン、
ゴディ&カーンなど謎のコンビが誕生。
ファンクスと長州の絡みはまったく嚙み合わず。
鶴龍コンビと超獣コンビが同点で優勝決定戦、
リングアウト勝ちで鶴龍コンビが2年ぶりの優勝。
’87 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和62年)
優勝:ジャンボ鶴田&谷津嘉章 15点
天龍源一郎&阿修羅・原 14点
スタン・ハンセン&テリー・ゴディ 14点
ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ 14点
ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク 14点
アブドーラ・ザ・ブッチャー&TNT 12点
ジャイアント馬場&輪島大士 11点
タイガーマスク&仲野信市 6点
グレートカブキ&ジョン・テンタ 6点
ラッシャー木村&鶴見五郎 2点
トム・ジンク&ターミネーター 2点
クリス&マーク・ヤングブラッド 2点
”天龍革命”で龍原砲と五輪タッグが初参戦。
そのほか、ブロディ、スヌーカ、
ブッチャーが新日から出戻り。
計11チーム、新鮮な顔触れが揃った年。
後楽園でのハンセンとブロディの直接対決は伝説。
混戦のリーグ戦を制し、
鶴田&谷津の五輪コンビが初優勝。
’88 世界最強タッグ決定リーグ戦(昭和63年)
優勝:スタン・ハンセン&テリー・ゴディ 17点
ジャンボ鶴田&谷津嘉章 16点
ジャイアント馬場&ラッシャー木村 15点
天龍源一郎&川田利明 14点
アブドーラ・ザ・ブッチャー&T・J・シン 14点
グレートカブキ&輪島大士 7点
タイガーマスク&ジミー・スヌーカ 7点
高野俊二&ジョン・テンタ 4点
ダニー・スパイビー&ジョニー・エース 10点
ディック・スレーター&トミー・リッチ 0点
クラッシャー・ブラックウェル&フィル・ヒッカーソン 0点
解雇された原に変わり川田が大抜擢。
馬場は木村との”兄弟コンビ”で出場。
タイガー&スヌーカ、高野&テンタなど
異色コンビも。
ブッチャーとシンは、
オールスター戦以来のコンビ結成で大人気。
最後は五輪コンビとハンセン組となり、
1点差でハンセン&ゴディが初優勝。
最強タッグといえば「オリンピア」
1984年から大会テーマ曲として
使用されているのが「オリンピア」(セルジオ・メンデス)。
もとは次期シリーズ予告、
入場式などで使用されたこの曲は、
プロレスファンにとって年の瀬を思い起こさせる、
年末の風物詩的な名曲です。
元々は1984年、
ロサンゼルス・オリンピック用に
作られたボーカル入りの楽曲。
「世界最強タッグ」ではブラジル、
オランダ発売盤にのみ収録されている
インストバージョンをさらに短く
編集して使用されています。
コメント
裏事情を知らない頃は、超獣コンビの3連覇でいいじゃん! 最強タッグなら、ウォリアーズ参加しろ!などと、真剣に思っていました。 ちなみに、87年、突如、ブッチャー、ブロディー復帰は、長州の新日テレビ復帰との交換条件と知り、今になってガッテンです! 後、84年と86年の最終戦、日テレのマスターテープは途中で切れていて、それを堂々とソフト化してるのは、なんだかなーと思います。 あ、動画では勿論、見れますが。
そうですね、当時はなんで超獣コンビに優勝させないんだ!とかウォーリアーズ出ないの?とかいろいろ不満がありましたよねぇ。裏事情を知れば納得せざるを得ませんが。
年末になると聴きたくなるねぇ、オリンピア!
おお!と思って聴いてみたら歌入りやん!(笑)
オリジナル音源はワイがあげたんやで!
亡霊ハン!(笑)
あ、ちなみに84年最強タッグの決勝戦は病院のベットの上でたまたま見てて、そこから天龍ファンになったのでした。
そう、「オリンピア」は敢えて唄入りの原曲をUPしました。インスト版は最強タッグ名場面集にあるからいいかなと。実は唄入りオリジナル、今回初めて聴きました(笑)。