「あ!フォークだ!フォークです!」
祖父と一緒に観た全日本プロレス中継のこの試合が、私が7歳にして初めて、プロレスの「面白さ」に目覚めた試合です。
いまやクラシックなこの試合は、ある意味でプロレスの持つ面白さ、エキサイティングでドラマティックな展開の見本のような試合として、多くのプロレスファンの語り草になっているだけでなく、世界中に「この試合を見てプロレスラーになった」という選手が存在する、伝説の試合です。
1977(昭和57)年12月15日 蔵前国技館
世界オープンタッグ選手権 最終戦
ドリーとテリーのザ ファンクスvsブッチャー、シークの史上最凶悪コンビ。
この試合でブッチャーは、なんとフォークを凶器に使い、テリーの腕をメッタ刺しにして大流血に追い込みました。
それまでの凶器は五寸釘が定番で(それでも十分凶悪ですが 笑)、
フォークを使って思い切り腕にブッ刺す、というのはさすがに前代未聞。
そしてそれがTV中継でお茶の間に流れたのですから、すごい時代ですね
(しかも放送日は12/24、クリスマスイブです。さらに、12/31大晦日に「総集編」も放送されました)。
●試合展開
「黒い呪術師」アブドーラ ザ ブッチャーと「アラビアの怪人」ザ シークは見たまんま、当時のプロレスにおける世界最凶悪コンビ。
一方の「テキサスの荒馬兄弟」ザ ファンクスは正統派、兄弟揃ってNWA世界ヘビー級チャンピオン経験のある、善玉ガイジン兄弟タッグです。
試合は案の定、シーク&ブッチャーの凶器攻撃で荒れ模様の展開になります。
しかしレフェリーのジョー樋口は、弟テリーの救出に駆けつけようとする兄のドリーばかり注意して、ブッチャー、シークの反則に気がつきません(お約束)。
レフェリーの目を盗んで、五寸釘(テーピングでグルグル巻き)凶器攻撃のオンパレード!
「なにやってんだハゲ!」観客とTVの前の視聴者のイライラ、フラストレーションが頂点に達します。
もはや観客はブッチャーよりジョー樋口に対して怒っています(笑)。
そんな時、ブッチャーがテリーの右腕に、なにか別の、鋭利な金属製の凶器を突き立てます。
「あ、フォークだ!フォークです!!」
実況の倉持アナが絶叫。超満員の蔵前国技館は悲鳴に包まれます。まさに戦慄。
テリーは右腕をズタズタに引き裂かれ、戦線離脱。控え室へ運ばれます。孤立無援で奮闘する兄のドリー。
襲いかかる悪魔のようなブッチャーとシーク。2人がかりで人の良さそうな兄ドリーをいたぶります。
「もうダメだ…」観客が絶望感に包まれたその時、腕に包帯を巻いたテリーがビッグカムバック!
そして…サウスポーのパンチ!
館内は興奮の坩堝、轟々たる声援!(実況の倉持アナ)
結末は…暴走したシークがジョー樋口レフェリーに一撃を食らわせたことで14分40秒、ファンクスの反則勝ちで優勝。
大熱狂の中、大団円となりました。
●「勧善懲悪」プロレスの原点
いやいや。だったらフォーク出した時点で反則負けだろ!てか、警察呼べよ!
テリーが戦線離脱してドリー1人になった時点でもう試合止めろよ!
レフェリーいくらなんでも気がつかな過ぎだろ!
とかとか。
当時7歳の私からしても「常識」で考えたらオカシなことばかりなのですが、この曖昧な世界こそが「プロレス」なのです。
このアバウトさを許容できるか否かで、プロレスファンになれるかどうかが決まります。
私は…まんまとプロレスに魅せられ、ハマってしまいました。
文字面だけ読むといかにも、でチープな勧善懲悪ストーリーですが、文字通りカラダを張ったファイトと、
各選手のキャラを全うした千両役者ぶりで、観客をヒート(興奮)させる試合を創り上げ、熱狂させる。
これが力道山から続く昭和のプロレスの定番かつ、王道な魅力でした。
しかし、この試合は「悪いガイジン」vs「善玉日本人」ではなく、「ガイジン同士」なところが画期的です。
弟のテリー ファンクはこのシリーズ開幕戦、馬場 鶴田vsブッチャー シーク戦で日本組の救出に駆けつけ、
逆にブッチャーらに血だるまにされていました。
要は開幕戦から「日本陣営の加勢をする善玉テリー、悪役組との遺恨」という伏線まで張られていました。
そこへ来て、この最終戦での「傷だらけの兄弟愛」で完全にファンのハートを鷲掴みにして、一躍、大人気アイドルレスラーとなりました。
後に新日プロがタイガーマスク人気絶頂の頃、対抗する全日プロは夏休み時期に「テリーファンクさよなら引退シリーズ」(1983年)を開催し、全国の会場を熱狂させる立役者となりました。(数年後にしれっと復帰しましたが)
●世界オープンタッグ選手権とは?
1977年12月に全日本プロレスが開催した、タッグマッチのリーグ戦。
正式名称は「全日本プロレス創立5周年記念 世界オープン タッグ選手権大会」です。
日本プロレス界では長い間「タッグリーグ戦、年末の興行は客が入らない、失敗する」というジンクスがありました。
しかし、この大会が大成功したことで、後に続く全日プロの超人気シリーズかつ暮れの風物詩「世界最強タッグリーグ戦」がスタートしたのです。
〈参加チーム〉
▪ ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組
▪ ドリーファンクJr.&テリーファンク組(ザ ファンクス)
▪ アブドーラ ザ ブッチャー&ザ シーク組
▪ 大木金太郎&キム ドク組
▪ ラッシャー木村&グレート草津組
▪ ビル ロビンソン&ホースト ホフマン組
▪ ザ デストロイヤー&テキサス レッド組
▪ 高千穂明久&マイティ井上組
▪ 天龍源一郎&ロッキー羽田組
ラッシャー&草津組とマイティ井上は当時、提携していた国際プロレスからの出場です。
12月2日後楽園ホールで開会式と開幕戦を行い、12月15日の蔵前国技館で最終戦が行われました。
最終試合を残した時点での各チームの勝ち点は、
▪ 馬場&鶴田組 13点
▪ ザ ファンクス 12点
▪ ブッチャー&シーク組 12点
で、このファンクスvsブッチャー組の勝者が優勝、という展開でした。
もし…メインイベントが馬場鶴田組vs大木ドク組だったら…
ここまで記憶に残る名勝負、大会にはならなかったでしょうし、
後の「世界最強タッグリーグ戦」もなかった?…かもしれないですね。
完
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