「’90 スーパーファイト in 闘強導夢」〜1990 史上最高の東京ドーム 新日本プロレス

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プロレス
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今回は、1990年2月10日に開催された、新日本プロレスの東京ドーム興行 第2弾にして「史上最高」との呼び声も高い、新日プロvs全日プロ 夢の団体対抗戦が行われた「スーパーファイト in 闘強導夢」について、生観戦の思い出と共にご紹介します!


 

●猪木の政界転身

 

1989年、アントニオ猪木が「スポーツ平和党」を結党して参院選に出馬。ギリギリのところで大逆転勝利、初当選を果たしました。

 

その思わぬ効果もあり、翌1990年2月に行われた「スーパーファイトin闘強導夢」は、新日本プロレスと全日本プロレスの団体対抗戦という、ファン待望の夢が実現しました。

 


 

●幻のフレアーvsムタ戦

 

このドーム大会の当初の目玉は、グレート ムタvsリック フレアー戦でした。

 

海外遠征中の武藤敬司の化身であるムタは当時、WCWエリアでトップヒール、全米で大人気レスラーとなっていました。凱旋帰国にあたり同エリアのチャンピオンであり代名詞でもあるフレアーも呼んで、まんまパッケージで日本で再現するイメージだったのだと思います。

 

リック フレアーはNWA世界王者時代から、全日本プロレスが招聘権を持つ代表的な選手でしたが、90年代のアメリカマットでのレスリング ウォーの影響で旧NWA→WCW=新日本プロレスと提携と変化し、猪木から新日本プロレス社長を継いだ坂口征二新社長は、律儀に馬場さんに話を通して承諾を得ていました。

 

馬場さんは馬場さんでしたたかに、フレアーとスティーブ ウィリアムスのトレードを要求。貸し借りなし、で交渉が成立します。

 

ところが、そのカードが実現困難となります。当時の発表はよく覚えていませんが、ムタが負傷したとか、フレアーが来日できなくなったとか、いろいろ言われていましたが、実際のところはWCW側のドタキャンだったのだそうです。

 

ちょうどこの1990年1月のタイミングで、4月13日に同じく東京ドームで開催される全日本プロレスとWWFの合同興行「日米レスリングサミット」に新日本プロレスも協力する事が発表され、ビンス マクマホンJr.とジャイアント馬場、坂口征二の3オーナーが同席による記者会見が開かれていました。

 

これに全米でWWFとライバル関係にあり、激しいレスリングウォーを展開中のWCWが態度を硬化させてのドタキャンだったそうで…WWFとWCWの当時の緊張関係を考えれば、これは無理もない気がします。

 


 

●馬場-坂口会談での対抗戦電撃決定!

 

ともあれ、目玉のフレアーが来日不能となり、困った坂口社長は馬場御大に「スタン ハンセンを貸して欲しい」とリクエスト。

 

ところが、馬場御大からの回答は「ハンセンだけじゃなくて、鶴田と天龍も使っていいよ」という驚天動地のものでした。

 

馬場御大がなぜにこの英断を下したのか。「可愛い後輩である坂口征二の新日本プロレス社長就任祝い」というのが、表向きの理由でした。

 

長年、馬場と猪木の激烈な興行戦争、仁義なき戦いを見てきたプロレスファンとしては、唐突にベルリンの壁が崩壊して2団体が歩み寄りを見せた…というより、あの慎重かつ頑固な馬場御大がなんでまた?という思いでしたが、「オレが嫌いなのはあくまで猪木」「これまで揉めてたのは全部猪木が悪い」という、変なカタチでの当てつけのような空気も感じました。

 

また前述の通り、2ヶ月後にWWFとの合同興行を控える馬場 全日プロとしては「坂口となら」という気持ちでしたでしょうし、WWF ビンス マクマホンJr.の真の狙いは単独での日本侵攻です。いざとなったら、馬場 全日プロは坂口 新日プロと連合して、WWFの日本マット侵攻を食い止めなければなりません。

 

そういう意味で、猪木の政界進出、全米レスリングウォーなどが重なり、奇跡的なこの全日&新日プロの共同戦線が実現したワケなのです。

 

さらには、この頃の全日プロは天龍革命、鶴龍対決で武道館を年に何度もフルハウスにする登り調子でしたので、余裕のなせる業だったのかもしれません。


 

●タダ券が一気にプラチナチケットに

 

そんな舞台裏はともかく、フレアーvsムタ戦から一転、鶴田、天龍らの新日マット登場!というのは、いまでは想像できないくらいのありえない出来事でした。この衝撃は後の他団体、対抗戦時代からしか知らない世代にはわからないでしょう…。

 

当然、このドーム大会への注目度は一気にヒートアップしました。

 

実は、この発表前、チケットはさっぱり売れていませんでした。

 

2度目ともなればドーム大会のもの珍しさも薄れ、メインのカードがモロにアメリカンなムタvsフレアー、というのはコアな新日ファンからすると、イマイチ、ノレないものでした。

 

その対策か、どういう経緯かわかりませんがミスタードーナツでタダ券がばら撒かれていて、私は早々にそれをゲットしていたのです。※封筒には猪木のイラストが描かれていて「必ず来てくれよな!」というセリフが、物悲しさを感じる程でした。

 

ところが、「全日勢参戦!」と報道されてからは一気にプラチナチケット化。チケット争奪戦が起こります。

 

私はこの歴史的興行をタダで観られる幸運と同時に、なんだか申し訳ない気持ちでいました。

 


 

●対戦カード決定

 

さて、このドーム大会の、世間一般層へのアピールポイントは、なんと言っても元横綱 北尾光司のデビュー戦です。

 

ルー テーズ道場へ入門し、デビュー戦からどのマットに上がるのかは不明とされていましたが、水面下で新日プロがしっかり獲得していたワケです。

 

プロレスファン注目の鶴田、天龍の対戦カードですが、ジャンボ鶴田は谷津嘉章との「五輪コンビ」で、ベテランの木戸修、木村健悟組との対戦が決まりました。

 

そして天龍源一郎は、当初 川田利明と組み、長州力、小林邦昭との対戦が発表されましたが、その後、天龍のパートナーがタイガーマスク(2代目、三沢光晴)に、長州のパートナーもジョージ高野に変更になりました。

 

長州と高野というのもなんとも珍しいコンビですが、天龍とタイガーは当時、軍団抗争で激しく戦う立場。この対戦カード変更は「単なる顔見世じゃなく勝ち負けにこだわるぞ」という天龍、長州の意気込みが感じられましたし、なにやらキナ臭いものを感じました。

 

北尾のデビュー戦はクラッシャー バンバン ビガロと決まり、スタン ハンセンvsビッグ バン ベイダーの超ドリームカードも決まり、さらには藤波辰巳のAWA世界タイトルへの挑戦、そしてメインイベントにアントニオ猪木、坂口征二の黄金タッグが復活して、橋本真也、蝶野正洋の闘魂二銃士タッグとの師弟対決が決定。

 

猪木はチョチョシビリへのリベンジマッチ(1989年5月25日 大阪城ホール)以来の復帰戦、国会議員になって初の試合ですが、猪木が出てきたら馬場御大の協力がご破算になるのでは、とそっちの方が心配でしたが・・・

 

ともあれ、これ以上ない盛り上がりで、大会当日を迎えました。

 


 

●1990年2月10日土曜

 

東京ドームは大入り満員でした。初回の「格闘衛星☆闘強導夢」大会よりも、客入りは多かった気がします。

 

オープニングマッチ、普通の新日勢の前座から盛り上がり、第2試合 ライガーはマント姿で盾と刀(ライガーソード?)まで持っての登場。全日勢が参戦してることもあり、新日選手達の気合はいつも以上に感じられました。

 

そして前回のドーム大会の流れを組む、アメリカvsソ連の試合をはさみ、AWA世界タイトル戦です。藤波は腰痛による欠場で、代打はマサ斎藤。そしてここで、誰も予想も期待もしていなかったマサ斎藤が世界タイトルを奪取。ジャンボ鶴田に次ぐ、日本人2人目のAWA世界チャンプ誕生に、ドームは大爆発。

自然発生的に満員の観客席に、ウェーブが起こります。そして、完全に「出来上がった」状態のドームに、鶴田のテーマ「J」が流れます。

 

この瞬間の大歓声は、鳥肌モノでした。ドームに響き渡る「ツルタ オー」のコールの中、ジャンボ鶴田が、セルリアン ブルーの新日マットに登場。谷津嘉章の里帰りもなん年ぶりでしょうか。

   

鶴田はベテランの木戸、木村健悟相手に気持ちよさそうにいつも通りのスケールのデカいゆったりとした試合を見せ、最後は空中胴締め落としで木戸からピンフォール勝ち。

 

そしていよいよ、天龍の登場です。「サンダーストーム」が鳴り響く中、天龍は渋いロングガウン姿で、花道に用意されたお立ち台をスカして、らしさ爆発の不機嫌な入場シーン。

 

この試合は先程とはまるで違い、「対抗戦」らしいヒリヒリ、殺伐とした展開となります。ジョージ高野の天然なトリッキーぶりに苛立つ天龍、長州もお客さんである天龍らを相手に遠慮なくガンガンしかけ、天龍はますます不機嫌に。最後は高野がリングアウト負け、となりますが、天龍、三沢タイガーは良いところを見せられずフラストレーションが溜まる戦いぶりでした。

 

さらに、この試合の後が、ベイダーのIWGPタイトルにハンセンが挑戦する、超弩級のあの試合です(詳しくはコチラ)。

 

もうここまででお腹いっぱい、なところに、なんとセミファイナルで北尾のデビュー戦。

 

伝説のズンドコデビュー戦は…登場から髪型、サングラス、革ジャン、黄色い釣りパンツのコスチューム、そして構え…

 

さらにはフィニッシュの飛ぶ方向を間違えたギロチンドロップまで、北尾の一挙手一投足にドームが爆笑に包まれる、なんとも北尾にテーマ曲を提供したデーモン小暮閣下と、ビガロが気の毒な一戦でした。

 

そしてメインイベント。TV中継で「出る前に負けること考えるバカいるかよ!出てけオラァ!」の猪木ビンタからの橋本の「時は来た!それだけだ」からの蝶野の苦笑、がこれまた伝説の、あの一戦です。

 

 

 

試合は橋本の遠慮ない猛爆キックに脚を持っていかれ、顔面に青タンを作った猪木が、なんとか延髄斬りから蝶野をピンフォール。

 

そしてこの試合後に「1、2、3、でダーです」と猪木本人の解説付きの、「1、2、3、ダー」の本邦初披露、というオマケまで付きました。

 


 

●テレビ中継

 

この大会の模様は当然、テレビ朝日で特番枠で放送されましたが…全日勢の試合は日本テレビとの契約問題があり放送されず。唯一、ハンセンvsベイダーのみ放送されました。

 

そのため、全日絡みの2試合は長らく裏ビデオとして流通していましたが、天龍タイガーvs長州高野戦は天龍引退後のソフトに収録されたようです(鶴田谷津vs木村木戸戦は、いまだに公式には未公開です)。

 


 

ほんとに盛りだくさんで満足度の高い、夢のドーム興行でしたが、生観戦した感想としては、やはりなんといっても観客席ウェーブからのジャンボ鶴田の入場、「J」のイントロが流れたあの歴史的瞬間、がクライマックスでした。

 

ジャンボ鶴田が新日のリングに上がるなんて、夢か幻か…あのシーンが当日、会場に行った人だけのものなのはもったいないですね。

 

事実、ジャンボ鶴田が新日本プロレスと絡むことは、これが本当に最後になってしまったのです…。

 

そしてこの興奮は、「日米レスリングサミット」へと続いていくのです。

 


 

ちなみに…翌日(1990年2月11日)、同じく東京ドームでボクシング世界ヘビー級タイトルマッチが行われ、当時の絶対王者 マイク タイソンがジェームス ダグラスにKOで敗れるという大番狂わせが起きてました。

 


 

スーパーファイト in 闘強導夢
新日本プロレス
1990年2月10日
観衆6万3,900人(超満員札止め)

 

第1試合 30分1本勝負
○飯塚孝之(10分49秒 ブリザードホールド)×松田納

第2試合 30分1本勝負
ペガサス キッド ○佐野直喜(16分47秒 タイガースープレックスホールド)獣神サンダーライガー ×野上彰

第3試合 30分1本勝負
ヒロ斉藤 ○後藤達俊 保永昇男(13分29秒 バックフリップ→片エビ固め)小林邦昭 ×星野勘太郎 馳浩

第4試合 45分1本勝負
○ブラッド レイガンズ(6分13秒 回転首固め)×ビクトル ザンギエフ

第5試合 45分1本勝負
○スティーブ ウィリアムス(9分0秒 アバランシュホールド→片エビ固め)×サルマン ハシミコフ

 

第6試合 AWA認定世界ヘビー級選手権試合
60分1本勝負

○マサ斎藤<挑戦者>(14分29秒 首固め)×ラリー ズビスコ<王者>
※マサ斎藤が第40代王者に

 

第7試合 新日本vs全日本 団体交流戦
60分1本勝負

○ジャンボ鶴田 谷津嘉章<全日本>(15分6秒 空中胴絞め落とし→体固め)木村健吾 ×木戸修<新日本>

第8試合 新日本vs全日本 団体交流戦
60分1本勝負

天龍源一郎 ○タイガーマスク<全日本>(18分59秒 リングアウト勝ち)長州力 ×ジョージ高野<新日本>

 

第9試合 IWGPヘビー級選手権試合
60分1本勝負

ビッグバン ベイダー<王者>(15分47秒 両者リングアウト)スタン ハンセン<挑戦者>
※ベイダーは3度目の王座防衛に成功

 

セミファイナル 北尾光司デビュー戦
60分1本勝負

○北尾光司(9分58秒 ギロチンドロップ→体固め)×クラッシャー バンバン ビガロ

 

メインイベント アントニオ猪木国内復帰第1戦
60分1本勝負

○アントニオ猪木 坂口征二(15分43秒 延髄斬り→体固め)橋本真也 ×蝶野正洋

コメント

  1. ともすけ より:

    いつも楽しく拝見させていただいています。私は1975年生まれのプロレスファンです。2.10東京ドーム懐かしいですね。
    フレアー とウイリアムスのトレードのことですが、当初、フレアー はドーム単発、ウイリアムスは、2、3月1シリーズのみの全日本参戦との話だったと思います。馬場さんは、天龍、鶴田、ハンセンらをドームに貸し出す代わりにウイリアムスの永久トレードを要求したのではないかと思っています。また、フレアー とウイリアムスのトレードとの話ですが、全日本プロレスは、1989年6月以降にNWA.AWAとの提携を解消したと見ています。1989年3月に当時のNWA王者 リッキースティムボード、ロードウォリアーズ、6月にスティングが全日本プロレスに来日していますが、それを最後にNWAから招聘していません。新日本プロレスとしては、1989年6月以降に、全日本プロレスがNWA、AWAとの提携解消を知り、新たな提携に飛びついたのだと思います。そのため、1989年の冬に1990年2月10日の東京ドーム大会の目玉としてIWGP、NWA、AWAの3大シングルを発表したのだと思います。
    そのため、フレアー 、ウイリアムスのトレードは、本当は違うのだと思います。
    あと、インタータッグとPWFタッグを統一し、世界タッグという名称にしたのも、NWA、AWAとの関係を解消し、タイトルに世界の名称を気兼ねなく使ったように思います。

  2. ズンとねる より:

    協賛っぽいですねー。
    後、藤波って、欠場してなかったら、予定通りAWA戦でしたかね?全日参戦でカード変わったじゃないですか?希望は五輪対新日ニューリーダーズで、ケンゴがとられる?ただ、ケンゴ当時番付かなり落としていたとはいえ、一応看板タッグなんで、木戸、全日はカブキか渕での6人で落とし所じゃないかなと。鶴田、藤波、スムーズに絡める唯一のチャンスでしたよね!あ、久々妄想炸裂です。

    • MIYA TERU より:

      藤波がもし、欠場していなかったら・・・藤波からすると鶴田と並んでAWA世界王者になれたチャンスでもあり・・・悩むところですよね。ただ、ファンとしては当然、鶴田との絡みを期待しますよね!藤波・健吾組、もしくは藤波・木戸組か・・・おっしゃる通り、鶴田谷津+カブキもしくは淵vs藤波健吾木戸、という線もあったかも・・・。いずれにしても新日側が譲歩して鶴田の勝ちは変わらないでしょうね。

  3. ズンとねる より:

    これ、確かに今の所、最初で最後のミスドプレゼンツでしたよね!ドーム内でも、ドーナツ売ってましたか? しかし、タダ券とは羨ましいです! 私は、当時、山陰の高校受験生で、翌11日、タイソン、ダグラス戦に滑り止めの私立の試験日で、我ながら本命1本で勝負出来ない出来の悪さを恨みつつ、密航断念しました。 この興行は、タイムマシンあったら、結果知ってても見に行きたいNO1です! これを基準にしてしまうので、その後のドームはカードが物足りないですよねー。(10.9と、猪木引退は生観戦しました) もし今の知識と経済力があるなら、前日、大阪でのUを見てから、ドーム2連戦観ます。 (当時、ターザン更科コンビもこのコース)週プロにプロレスの最終回のようだと書いてあったと思うんですが、本当、ここでBIのプロレスがリセットされた感じでした。で、この後、武藤と三沢が出てくると。Uに薄々飽きてきていたプロレスファンを振り向かせる奇跡のイベントでした!因みに、通販でテレカ買いましたねー!実家にまだあります。銀のジャンパーも今なら着れます。ポスターも人の顔だらけのとか有りましたね。思い出が尽きない!

    • MiyazakiTeruhiko より:

      いつもありがとうございます!あれ、そのまんま、ミスドプレゼンツなんでしたっけ・・・会場ではドーナツ売ってた記憶ないですね・・・笑 ホントにこの頃、初期の「ドーム」は”夢の大会場”でした・・・ドームならなんでもアリ、みたいなお祭り感がありました。

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