1984(昭和59)年にデビューした3人組アイドルグループ「少女隊」。
巨額のプロモーションで売り出されるもなかなかブレイクせず、メンバーの途中交代など”悲運のアイドルグループ”のイメージが強い彼女たちですが・・・
アジア各国では高い人気を誇り、楽曲のクオリティも高く、不思議な魅力のあるアイドルグループでした。
■1983年 結成
オーディションで選ばれたミホ(藍田美豊)、レイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)の3人で結成。
■1984年 デビュー
1st.シングル「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」
(作詞:亜伊林 作曲:都倉俊一 編曲:John D’andrea、David Wheatly)
▲こちらはExtended Version
アルバム「少女隊Phoon」
ビデオ「少女隊Phoon」
12インチシングル「ESCAPE」
写真集「ESCAPE 少女隊USA漂流記1984」
を立て続けにリリースし、華々しくデビューしました。
キャッチコピーは「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」。有名なキャッチコピー「一心同体、少女隊」はCMで使われたものでした。
所属事務所は松崎しげる、岡田奈々、大場久美子、杏里、松本伊代などで知られるボンド企画(後に本田美奈子、新田恵利、福永恵規、高岡早紀らも所属)。
デビュー当時、「プロモーション総額30億円」とウワサされ、アルバムプロデューサーは山口百恵、ピンクレディを手がけた都倉俊一さん、ロスアンジェルスレコーディングにはアメリカの一流ミュージシャンが参加、ビデオと写真集はオールアメリカロケという豪華さでした。
さらに、デビュー2年目の1985年には初主演映画「クララ白書・少女隊PHOON」(同時上映は吉川晃司主演「ユー・ガッタ・チャンス」)まで公開される熱の入れよう。
2nd.シングル「お元気ですか?マイフレンド」
(作詞:小原丈二 作曲・編曲:都倉俊一)
しかし、「従来のアイドル路線とは一線を画す」という事務所方針でほとんどTV歌番組に出演しないことが仇となり、ブレイクしないまま・・・加えてデビュー前に放映予定だった江崎グリコ「マリンバ」のCMがグリコ・森永事件の影響で延期に、チーコが腰を痛め休養するなど、不運に見舞われ続けました。
■1985年
ここからプロモーション路線を転換し、秋元康氏が作詞で参加。
3rd.シングル「素直になってダーリン」
(作詞:秋元康 作曲:中崎英也 編曲:佐藤準)
がヒット。ザ・トップテン(NTV)、ひょうきんベストテン(フジテレビ)に初出演。
5thシングル「Bye-Byeガール」
(作詞:秋元康 作曲:中崎英也 編曲:佐藤準)
がTBSドラマ「夏・体験物語」の挿入曲となりザ・ベストテン(TBS)にも出演し、徐々に人気が上昇。
▲せっかくのタイミングなのにチーコは休養、レイコはドラマ撮影で負傷中・・・
チーコはこの後、8月に脱退、そのまま引退。
9月から新メンバーにトモ(引田智子)が加入します。チーコは”昭和の脱出王”初代 引田天功の娘、として話題を呼びました。
6thシングル「ハレーロマンス」
(作詞:秋元康 作曲・編曲:中崎英也)
7thシングル「もっとチャールストン
(作詞:秋元康 作曲:前田保 編曲:小林信吾、泰葉)
■印象的なCM
初期は「TVに出ない」(なぜか「ひょうきんベストテン」には出る)少女隊ですが、CMは印象的なものが多かったです。中でも「素直になってダーリン」が使用されたカゴメ炭酸飲料[úfufu] (ウフフ)のCMはよく覚えています。
■早すぎた?海外戦略
当時としては異例のアジア向けマーケティングをデビュー初期から展開、後期には日本よりアジア各国での人気が高いという状態に。
1985年には香港映画「HOW ARE YOU MY FRIEND/少女隊・青春節拍」にも出演、1986年と1987年には東南アジアツアーを成功させるなど、香港、タイ、シンガポール、マレーシアなどアジア各国で人気を誇りました。
1988年にはソウルオリンピック イメージソング「Korea」を歌い、韓国でも大ブレイク。同年8月、日本語曲が禁止されていた韓国で「戦後初めて放送で日本語で歌った歌手」になりました。
しかし、ネットもSNSもない時代、この成果はあまり国内では話題にならず・・・早すぎた海外戦略と言えるかもしれません。
■その後の少女隊
少女隊はその後、1988年頃まで活動を続けますが、所属事務所のボンド企画が1992年に倒産。
その際に「少女隊のプロモーション費用に金をかけすぎたせい」と言われました。
その後、3人は女優や声優などで活動。レイコは女優として、ミホも写真集でオールヌードを披露するなど、話題を呼びました。
1999年にはレイコ、チーコ、トモの3人で「1999少女隊」として再結成(ミホは妊娠中で不参加)
2016年にはベスト盤もリリースされています。
今回紹介した初期のシングルは楽曲、アレンジ、コーラスワークなどユニークな良曲が多く、ルックスもビジュアル面も個性的で魅力的です。それだけに同期デビューのセイントフォーと共に「もっと売れてもよかったのに・・・」と、長く記憶に残っているのだと思います。
コメント
いましたねえ、少女隊!
セイントフォーもそうですが芸能界もプロレス同様スター作りは難しい…
ネットもない時代にテレビで露出しないってそりゃ明らかに事務所がバカでしたね(笑) それが通じるのは松山千春とかよほどいい曲、歌が上手い人でないと…露出してナンボのアイドルには自殺行為です。
何十億のプロモーション費用って何処にかけたんだろ???
コメントありがとうございます!
ホントにそうですね>セイントフォーもそうですが芸能界もプロレス同様スター作りは難しい…